trekey’s blog

スタートレックをはじめに個人のコレクションエピソードのエッセイ

グレムリンの想い出

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1984年 公開の映画 グレムリン

娘は当時3歳前だったと思う。

どうしても観たい映画だったので 幼な子の娘を連れて 新宿のミラノ座だったかな?映画館に思い切って入った。

小さい娘がグズったらすぐに 中途退場覚悟での映画鑑賞。

映画好きの僕のDNAなのか 幼児なのに無表情で大人しく席に座り、並々ならぬ 期待感オーラを醸し出していた。

映画は当然 字幕である。

しかし2歳の娘は ジッとスクリーンを見つめ続けている。

チラチラと娘の様子を伺いながら映画を観ていた私だったが、いつしか娘のことは 忘れて映画に没頭していた。

上映中 娘は最後まで 一度もぐずらず真剣にスクリーンを見つめ続けていた。

そしてラストシーン・・・

謎の中国人爺さんに 父親が詫びて 主人公の少年が ギズモを返すシーン

爺さんが 少年に 『この子が 君に お別れしたいと言っている 』と箱に入ったギズモと少年が別れを 惜しんでいる その時

娘が私の腕を触って 片言で 『なんて言っての?』と 初めて尋ねてきた。

どこから説明していいか めんどくさいこともあり、とりあえず

『さよならって言ってるんだよ』と伝えたとたん、

娘は画面を見つめながら 少し間をおいて 顔を歪めて咽び泣きはじめました。

あっ!この子は、英語でも ストーリーは 映像から しっかりと理解していたんだ!ということをその時 確信した。たしかに彼女にとって日本語も英語も同じくらい未熟なレベルだったにしても その理解力には 感心した。

f:id:trekey:20190321024537j:image娘が小学校に入学した後に

多分 誕生日だったかな?ギズモのリアルなぬいぐるみを見つけプレゼントしたら とても喜んで毎日寝る時にも一緒だった。

時が経ち、娘も大人に近づきはじめた頃 親と反発して家を出て 祖父の家や友達の家で暮らしていた時期があった。

あとで聞いたことだが、その時もギズモのぬいぐるみを持って出て行っていたらしい。

その娘も今では 30代半ばを過ぎ シングルマザーとして二人の子を育て エステサロンを自営して 生計を立てている。

最近では親孝行のつもりだろうか 私に気を使ってくれるようになった。

自分が親になって 親の立場をはじめて理解できるように 過去のことも また感謝することもあり 今では 新たな親子関係が 始まっているのだろう。

娘の家で孫たちと一緒にクリスマスを過ごしていたときに 当時 小さかった娘と初めて映画館に連れてった話をしたら、まだあのギズモのぬいぐるみを持っていると言う⁉︎

そして 娘が引き出しから古いぬいぐるみを 取り出した瞬間・・・

時間が止まったような感覚になった。

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まるで命あるもののように感じた。

薄汚れてはいるが 何度も洗濯していて 臭いは無かったが、もっこりふわふわだった体は 着古したフリースみたいになっていた。

買ったとき、ガラスの茶色の瞳は まるで生きているような透明感があったが、今は 小さい傷だらけで 白内障のように 濁っていた。

ほんとにギズモが 歳をとったような気がして 切なくなった。

私のプレゼントのぬいぐるみを 30年の月日を超えて大切にしてくれたことも 嬉しくまたありがたかった。

これほど愛されたぬいぐるみには 魂が宿るんだよ と 水木しげる先生 なら おっしゃるだろう。

確かに 少し 笑っているような気もする。

私にとって グレムリンは 可愛くて切なくて

そして素敵な想い出として 残っている。